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ヒーローの不在

いじめと個性[404 Blog Not Found]

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別にいじめをうけていたわけじゃないが,自分の[小-中]学校の時を思い出してみる.10年程度の前のことだ.

いじめを受けた際に相談できる相手を聞くと「教師」はわずか19%で、「いない」と答えた子どもは2割を超えた。

いきなりだが,その頃の僕と友人達は自分以外のすべての人間が敵だと考えていた.
ちょうど"親や教師も人間"だということを認識しはじめたころで,だからその反発でそんな風に考えていたんだと思う.そして自分以外の誰かを頼ることは死ぬことよりも罪だと思ってた.

別にすさんでたわけでもなく,誰でもそんな風に考えた時は少なからずあるだろう.

その時の僕がいじめに類する行動を他者から受けていたら,自殺はしなくても相手をナイフでひと突きするくらいはしていたかも知れない.頭の足りない子供だと言われればちょっと否定できない.

事実僕の友人の誰かが放課後別の誰かに言われのない理由でボコボコに殴られたら,翌日校舎内の人目のないところで前日やられた方が後ろからやった方に殴りかかるという報復は日常的に行われていた.
うちの中学高校ではそういうことはあまりなかったんだが,友人の進学した学校でも特にひどいところでは,それの行きすぎで死者が出ることもあった.

それは報復するか自殺するかということ以外いじめとの違いはない.
誰かに殴られた事を相談すれば,翌日からはクラスで立派な"卑怯者"扱いである.

いじめの話をする時その解決策はいろいろ提案されるのだが,常套句の「くにのたいさく」「きょうしのしごと」「かていのかんきょう」ではどれも被害者の主観が語られない.

「自殺する前にどうして逃げなかったのか」
「自殺する前にどうして誰にも相談しなかったのか」

簡単なことだ.そんなことするぐらいだったら死んだ方がマシだからである.
かしこいおとなから見たらひどくバカバカしいかも知れないが,少なくともその時の年代の僕や僕の知っている友人達は本気でそう思っていた.
でも死ぬのは嫌だから報復するのだが,そうじゃない人は死ぬまで塞ぎ込か,パシリにでもなって必死に機嫌をとるしかないのだろう.

「どうして」と問う人はそれを忘れてしまったか,よほどおめでたいのである.

「くに」「きょうし」「かてい」は言われのない苦痛から救い出してくれるヒーローではない.
例えこれらがそうあろうとしても,そうはなり得ない.

「くに」「きょうし」「かてい」の役割はヒーローになることではなくヒーローを育てることである.
自分にとってのヒーローになりうるのは自分しかいないことを,十代という生涯の半分にも相当する長い時間をかけて教えなければならない.

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